“ひとりごと”が終わったら“ふたりごと”に進むのだろうな
あまりに唐突ですが
私、語呂合わせや“韻”を踏むのが好きで。
(おそらく父譲りです)
私的には“韻”なのですが
夫からたまに
ギャグセンスが古い
と言われるのが納得いきません。
決してギャグじゃなくて
(私の中では)韻ですから…!
ふとした時に気が付く“韻”や
意味を感じる言葉の一致って
なんだか素敵な気分になりませんか^^?
今日はそんな美しい“韻”の話。
自己対話=独り言
私が代表の“自己対話の学校”では
そのまま名前の通り
自己対話(Self=Dialog)
を深めることで
願いを叶える方法を
お伝えしてるんですけどね。
自己対話ってなんだか固いなぁ…
もっとカジュアルな言葉にできないかな
と考えていたとき
ふと浮かんできたんです。
あぁ!自己対話って要は独り言(ひとりごと)か!
でも“ひとりごとメソッド”はダサいなぁ…ボツ!
実際に口に出すかは別として
私たちって誰でも常に
脳内で独り言を言ってるんですよね。
その“独り言”の内容が
- 願いを叶えるのに適したものか
- トラブルを起こしやすいものか
によって受け取る現実が変わります。
↑
この辺の仕組みを解説したり
無意識の独り言(自己対話)を変える
コンサルを提供する場所がカレッジなのですが
昔から未婚の方が多くご相談にいらっしゃるんです。
独り言は“ひとりのコト”に通じる
何か理由・意図があって
カレッジは未婚者のための場所にしよう!
なんて考えているわけではありません。
ただ、私自身も理由がわからなかったのですが
私が提供するレクチャーは、結婚前に身につけてほしい。
結婚後でもNGじゃないけど、できれば“前”に。
みたいな謎の感覚だけ
活動を始めた10年前からずっと存在してて…
なぜ自分はそんな感覚を持っているのか?
サッパリわからず放置してました。
(だって考えてもわからないから)
そして最近になって
自己対話=要は独り言のことだ、と
腑に落ちた瞬間、芋づる式のようにこう感じました。
【独り言(自己対話)のトレーニング】は
【ひとりのコト】のトレーニングであり
【ふたりごと(誰かと共に生きる)】ために
必要な準備をしている段階なんだな
って。
点と点がスーッと繋がって
1つの答えになった気がしたんです。
あぁ、そうか。だから私は結婚前に自己対話のトレーニングをしてほしいと思ってたんだな
って。
もちろん今は時代的にも
結婚するもしないも自由ですが
「ひとりのコト」だけ考えればいい段階を卒業して
“誰かと一緒に生きる”フェーズで幸せに過ごしたいなら…
むしろ独り身でいられる時期に
しっかりと「ひとりのコト」をやり切って
安心して「ふたりのコト」(=ふたりごと、対話)に
進んでほしいなと無意識で感じていて。
ようやく活動10年目にして
言葉にできなかった意図が判明したというか。
………もうちょっと早めに判明できても良かったのでは?とは思いますけどね!!!
ひとりごと。ふたりごと。みんなごと。
自己対話は、独り言。
独り言に取り組むことは、ひとりのコトに取り組むこと。
ひとりのコトをやり切ったら、ふたりのコトを大事にできる。
そして「ふたりのコト」の先には
「みんなのコト」があるんじゃないかな。
ひとりごと。
ふたりごと。
みんなごと。
そうやって少しづつ
心で繋がれる範囲を広げられたら
きっと世界はもっと優しくなるんじゃないかなと。
そんなことを考えながら
今日も自己対話の学校を運営しています。
あなたにもいつか会えますように。