ライフワークのシンプルな見つけ方
ライフワークとか天職とかって
なにか「すごいもの」みたいなイメージ、ありませんか?
正体不明だけど
何か大きいものというか
“それ”に出会ったら人生変わる!みたいな。
たくさんの女性の相談を受けてきて
私が感じる「ライフワークの定義」は…
なんか知らんけど昔から気がついたらやってるもの
やる羽目になっちゃうもの
です。
地味ですね?
誰もがもうライフワークに取り組んでる
ライフワークっていう言葉が微妙なのかな?
ワークっていうと働くイメージが強いから
学生を卒業して、仕事をしてから出会うもの
みたいな印象になるからかしら。
私のライフワークは何ですか?
これからライフワークに取り組みたいです!
こんな風に
まだ自分はワイフワークに出会ってなくて
それに出会えたら一緒に才能も開花して…
みたいなイメージを持ってる人が多そうで。
ただプライベートコンサルで話を聞くと
本人が気がついていないだけですでに
ライフワークに取り組んでいる人が大半だよなと思うんです。
- なぜかわからないけど昔からやる羽目になる
- いつの間にかやっている
- やっている意識すらないけど、気がついたらやってたらしい
- 長期間やってても苦なくオートモードでできちゃう
ワークという言葉にとらわれず
なぜか昔からDoしちゃうもの?(ルー大柴?)
それが今回の人生で
あなたが担う社会での役割
ライフワークなのだと思います。
脳トレをライフワークだと思えなかったジレンマ
例えば私、今の仕事って
ライフワークだなと思うんです。
(悩み相談、自己対話の学校)
思うんです、というか
最近“そうであること”に降参しました😅
いや~実はですね
私この仕事は精力的に取り組んでいるものの
どーにもこーにも最後の1%だけ
他人事感がずっと抜けなかったんですよ。
もともと「カウンセラーになりたい!」みたいな
強い意志があって活動を始めたわけではなく
こんな感じの流れで始めてしまったから
どこか心の奥の方で
私、今の仕事は好きだけど、自ら望んで目指してたわけじゃないしな…
なんとなく流れで始めちゃったから、こんな不謹慎な感じでいいのかな…
こんな思いが拭えなくて。
やらされた感、ではないけど
「私が望んで取り組んだ感」が薄かったというか。
でもここ数年でライフワークについて
仮説・検証を繰り返していくうちに…
私がどのように感じようと、脳トレの活動は私のライフワークだという事実は変わらないな。
と悟ったというか、諦めたというか、受け入れたというか。
だって私、学生時代から
友人とのコミュニケーションの大半は
誰かの悩みに対して意見を述べる、意見交換する
という感じだったから😅
ライフワークのことなんて
一切考えてなかった中学の時から
今と変わらないことをやってるんですもの。
友人との会話の8割が人間の心理についてだった私w
制服のスカートをギリギリまで短くして
ルーズソックスを履いてカラオケしてた
ごくごく普通の女子高生だった私ですが
なぜか友人との会話の8割が
人間心理の考察とディスカッション
だったんですよね、謎すぎる。
あのさ~A組の○○くんとC組の△△ちゃん、付き合ったじゃん?
でも○○くんは元カノをひきづってるんだよ。
つまり△△ちゃんとは「元カノを忘れるために」付き合ってるじゃん?
それって有効なのかな?どういう心理なんだろうね?
↑
例えばこんな感じの会話を
マックや公園で延々と話しているという。
でも決して相談役ではないというか
ゆきぃぃぃ…聞いて~彼に振られたの~😭
みたいに夜中に友人から
電話がかかってくることもなかったし
考察結果を求められるだけの立ち位置。
きっと私に泣いて電話したところで
感情のケアは望めないと友人たちも思っていたのでしょうw
ライフワークの種は、過去~今に埋まってる。
私の例やメンバーさんたちを見てても
ライフワークの種はみんな持っているというか
あなたの過去~今に埋まってるんですよね。
- なぜかいつもリーダーになっちゃう
- なぜか優等生ポジションになっちゃう
- 勉強しなくてもテストの点数が良かった
- 毎度コツコツ作業がよく回ってくる
- 友達がいつもテスト前にノートコピーしにきてた
↑
こんな一見すると何でもないようなことが
ライフワークのカケラだったりしますから^^
きっとよく観察したら見えてくると思います。